┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
教育ルネッサンス賞
「アリクイにおまかせをよんで」
わたしは、おかたづけがきらいではありません。でもすこしだけやりたくないときがあります。このほんにでてくるココちゃんは、おかたづけがきらいです。三びきのアリクイに、おへやのかたづけをしてもらったら、ココちゃんのたいせつなものをぜんぶもっていかれてしまいました。
おもしろかったところは、アリクイたちがココちゃんのおへやをかたづけていることろです。むだなおしゃべりをしないで、「ほいっ」「はいっ」「ほいっ」といって、しっぽをほうきがわりにして、きれいにおかたづけをしていたところです。
そのときに、ココちゃんがねちゃったところがふしぎでした。それはアリクイにかたづけをしてもらっているのに、じぶんはなにもしないでねちゃったからです。わたしだったら、すこしてつだうとおもいます。ぞうきんがけとかおもちゃをたなにしまいます。
びっくりしたところは、ココちゃんがアリクイたちにおもちゃをぜんぶもっていかれて、それをとりかえすために、めをつぶってへやにあったものをおもいだしたら、おもちゃがでてきたところです。わたしは、ココちゃんのたいせつなものが、おへやにぜんぶもとどうりになって、とてもうれしかったです。
このほんをよんで、おかたづけをじぶんでちゃんとやらなきゃいけないとおもいました。いろいろなものをたいせつにしたいとおもいました。
熊谷市立熊谷東小学校1年 鈴木茉緒
● ○。。〇・ 。●○・ 。○・。● ○。
●。〇・ ●。○。 ○。●・ ○ ・
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
★小学校中学年の読書メッセージ!★佳作
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
教育ルネッサンス賞
「ずっとだいすきだよ」
「マリーちゃん、わたしの家につれて帰ってあげられなくてごめんね。ずーっとずっと大すきだったよ。」
わたしは、ビワがなっていたころ、ねこを内しょでかっていました。マリーちゃんは、わたしにとって、世界で一番すばらしいねこでした。多分、この本に出てくるエルフィーのようにです。大すきでした。なのにわたしは、マリーちゃんに、
「ずーっとずっと大すきだよ」
と言うことが出来ませんでした。
マリーちゃんとの出会いは、学校でした。花だんのすみで、手足をのばし、小さな体を大きくして、うつぶせでくつろいでいました。学校でねこを見かけるのは、はじめてだったので、その時はとてもびっくりしました。けれど、わたしは動物が大すきなので、すぐに頭をなでてあげました。そのねこは、子ねこだったのか、とても人なつっこいねこでした。そして、あまりかわいいので、名前をつけました。毛が白くて、目がくりくりと大きく、ディズニーに出て来るねこのようだったからです。マリーちゃんは、次の日も花だんの植木のかげにいました。だから、わたしは、そのまま学校でかうことにしたのです。わたしの家では、犬やねこをかえないと言われていたからです。
マリーちゃんも、エルフィーのようにやんちゃな子でした。さすがにエルフィーのようにリスは追いかけなかったけれど、ネズミをとったり、わたしが作った物をこわしたりして、こまらせることもありました。わたしは、この本の家族がエルフィーのことがすきだったように、マリーちゃんが大すきでした。つらい時や、なきたい時も、心のなぐさめになったのは、マリーちゃんでした。けれども、内しょでかっていたので、家でかっている人たちのようには、お世話をしてあげられませんでした。うつわのような形をした石で水を飲ませ、水飲み場でこっそり体をあらってあげたこともありました。食べ物は、きゅう食ののこりをあげましたが、食べられない物もあって、心配しました。落ちてる物を拾ってきて食べていたようです。ビワが口のまわりについていることもありました。マリーちゃんは、エルフィーとちがって、とても不自由でかわいそうでした。でも、マリーちゃんは、ねこなので何も話せません。ただ、けん命に生きているだけでした。とてもいい子でした。
ある日、放かに行ってみると、いつも走って出て来て、出迎えてくれるのに、その日は出て来てくれませんでした。エルフィーが階だんを登れなくなって、主人公も心配したように、わたしはとても心配しました。家にしていたダンボールの所に行ってみると、なんと、マリーちゃんは死んでいたのです。首にきずあとがありました。わたしは、目の前が真っ暗になりました。あれだけかわいがっていたねこが、わずかな期間で死んでしまうとは、思いもよらなかったからです。わたしは、なみだが止まりませんでした。エルフィーもマリーちゃんも、かい主のそばで死にたかっただろうな。
「ずーっとずっと大すきだよ」
主人公はエルフィーに言っていました。けれど、わたしは言っていませんでした。言っていないと、とてもつらかったです。
これからわたしは、どんな動物をかうことがあっても、小さくても大切な命だから、この本の主人公のように家族にも助けてもらって、せきにんを持ってお世話したいです。そして、何度でも
「ずーっとずっと大すきだよ」
と言ってあげようと思いました。そしたらきっと、心はつたわると思ったから。
さいたま市立大宮小学校3年 加藤月琉
● ○。。〇・ 。●○・ 。○・。● ○。
●。〇・ ●。○。 ○。●・ ○ ・
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
教育ルネッサンス賞
「ずっとだいすきだよ」
「マリーちゃん、わたしの家につれて帰ってあげられなくてごめんね。ずーっとずっと大すきだったよ。」
わたしは、ビワがなっていたころ、ねこを内しょでかっていました。マリーちゃんは、わたしにとって、世界で一番すばらしいねこでした。多分、この本に出てくるエルフィーのようにです。大すきでした。なのにわたしは、マリーちゃんに、
「ずーっとずっと大すきだよ」
と言うことが出来ませんでした。
マリーちゃんとの出会いは、学校でした。花だんのすみで、手足をのばし、小さな体を大きくして、うつぶせでくつろいでいました。学校でねこを見かけるのは、はじめてだったので、その時はとてもびっくりしました。けれど、わたしは動物が大すきなので、すぐに頭をなでてあげました。そのねこは、子ねこだったのか、とても人なつっこいねこでした。そして、あまりかわいいので、名前をつけました。毛が白くて、目がくりくりと大きく、ディズニーに出て来るねこのようだったからです。マリーちゃんは、次の日も花だんの植木のかげにいました。だから、わたしは、そのまま学校でかうことにしたのです。わたしの家では、犬やねこをかえないと言われていたからです。
マリーちゃんも、エルフィーのようにやんちゃな子でした。さすがにエルフィーのようにリスは追いかけなかったけれど、ネズミをとったり、わたしが作った物をこわしたりして、こまらせることもありました。わたしは、この本の家族がエルフィーのことがすきだったように、マリーちゃんが大すきでした。つらい時や、なきたい時も、心のなぐさめになったのは、マリーちゃんでした。けれども、内しょでかっていたので、家でかっている人たちのようには、お世話をしてあげられませんでした。うつわのような形をした石で水を飲ませ、水飲み場でこっそり体をあらってあげたこともありました。食べ物は、きゅう食ののこりをあげましたが、食べられない物もあって、心配しました。落ちてる物を拾ってきて食べていたようです。ビワが口のまわりについていることもありました。マリーちゃんは、エルフィーとちがって、とても不自由でかわいそうでした。でも、マリーちゃんは、ねこなので何も話せません。ただ、けん命に生きているだけでした。とてもいい子でした。
ある日、放かに行ってみると、いつも走って出て来て、出迎えてくれるのに、その日は出て来てくれませんでした。エルフィーが階だんを登れなくなって、主人公も心配したように、わたしはとても心配しました。家にしていたダンボールの所に行ってみると、なんと、マリーちゃんは死んでいたのです。首にきずあとがありました。わたしは、目の前が真っ暗になりました。あれだけかわいがっていたねこが、わずかな期間で死んでしまうとは、思いもよらなかったからです。わたしは、なみだが止まりませんでした。エルフィーもマリーちゃんも、かい主のそばで死にたかっただろうな。
「ずーっとずっと大すきだよ」
主人公はエルフィーに言っていました。けれど、わたしは言っていませんでした。言っていないと、とてもつらかったです。
これからわたしは、どんな動物をかうことがあっても、小さくても大切な命だから、この本の主人公のように家族にも助けてもらって、せきにんを持ってお世話したいです。そして、何度でも
「ずーっとずっと大すきだよ」
と言ってあげようと思いました。そしたらきっと、心はつたわると思ったから。
さいたま市立大宮小学校3年 加藤月琉
● ○。。〇・ 。●○・ 。○・。● ○。
●。〇・ ●。○。 ○。●・ ○ ・
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
★小学校高学年の読書メッセージ!★佳作
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
教育ルネッサンス賞
「天風の吹くとき」
私は、文書を書くのが苦手です。むしろ嫌いです。そんな私に母が、「今年の夏休みの宿題は、読書感想文」と断言されました。私が嫌な顔をすると、「苦手な事だからこそ挑戦しなさい」と言いました。
本を読むのは好きですが、私がいつも読むのは、外国人の伝記や、魔法、空想上の生き物のドラゴンなどが出て来る冒険ファンダジ―ばかりです。
この本を見た時、小見出しに「鳥ヶ峰の勇者は空を飛ぶ」と書いてありました。また、「林子は、小さな胸に大変な秘密をかかえて」とあったので「これは、魔法で空を飛ぶ林子の冒険ファンタジー」のお話だと思ったのです。
けれど、読んで見ると心があたたまるようなすてきなお話でした。
十一歳の林子が、東京から一人で電車に乗って鳥ヶ峰にやって来る事は、大冒険だと思うし、私ならとても無理です。しかも何に対しても興味津津で不思議に思った事は確かめずにはいられない。一度やると決めた事は止まらない。そんな林子が魚捕りの仕掛けを持ちあげて魚を全部逃がしてしまう所では、『何てハチャメチャな子なんだろう』と思いました。一太の「だめだこりゃ」と呆れたのも当然だと思います。
鳥ヶ峰の男の子達が欄干から川に飛び込んでいる所に私は、『信じられない』思いでした。林子も「やめて!」と叫んだのは危ないと思ったからに違いありません。けれど、与市は「こわがらんで物事に立ち向かうには、度胸がいる。だから人間には、度胸だめしが必要なんじゃ。子どものころにゃ、とくにな」
と言っているのですから驚きです。
風鎮めの祭の歌に「きっと勇みの願かけて命尽くして生きてみしょ 一度きりでも 飛んでみしょ」という歌詩があります。また、夏に吹いている桜の花を見て「命っちゅうもんはしぶといもんだな」と与市が言っていましたが、これは林子に対する『一生懸命生きてほしい、命を大事にしてほしい』という願いが込められている様に思えます。
林子が「小さな胸に大変な秘密をかかえている」のが血液の病気で、「林子の夏は命がけ」だという事を知り、一太も私も『嘘だ!!』という思いは一緒でした。
夜の桜を見ながら林子が言った言葉は、自分の病気と向かい合い「命尽くして生きる」という思いが伝わって来ます。
そして、この鳥ヶ峰に来て林子は沢山の物をもらいました。それは、思い出だけなくこれからくるいろんなことに立ち向かっていく気力、自信、そう、「度胸」。
林子の作戦が成功して二人で初めて一緒に橋から飛んだ時、林子の不思議なパワーが一太を鳥ヶ峰の勇者にしたと思います。
何を言っても全く言う事を聞かない無茶苦茶に元気な、でも、ガラスみたいに割れてしまいそうな林子の命を守りたかった。そんな一太を私は、やさしくて、男らしい、気持ちまでも勇者なのだと思います。
林子が東京に帰る駅で「今年は着られんで残念だろうが、また来年、まっとる」という与市からの伝言とゆかたを受け取りました。この言葉には、「負けるな、生きろ」というメッセージが込められていると思います。
男の子達の目の中にあるするどさが、たくましく見えたのは林子の不思議なパワー、魔法のせいかもしれませんね。
私はこの本を読んで、自分がもし林子だったらと考えた時、否定的な『不・無・非・未』という思いでいっぱいでした。
けれど、この本を読んで読書感想文を書くことによって、少しでも林子から、ポジティブなパワーをもらえたように思えます。
さいたま市立泰平小学校5年 藤居愛未
● ○。。〇・ 。●○・ 。○・。● ○。
●。〇・ ●。○。 ○。●・ ○ ・
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆
教育ルネッサンス賞
「天風の吹くとき」
私は、文書を書くのが苦手です。むしろ嫌いです。そんな私に母が、「今年の夏休みの宿題は、読書感想文」と断言されました。私が嫌な顔をすると、「苦手な事だからこそ挑戦しなさい」と言いました。
本を読むのは好きですが、私がいつも読むのは、外国人の伝記や、魔法、空想上の生き物のドラゴンなどが出て来る冒険ファンダジ―ばかりです。
この本を見た時、小見出しに「鳥ヶ峰の勇者は空を飛ぶ」と書いてありました。また、「林子は、小さな胸に大変な秘密をかかえて」とあったので「これは、魔法で空を飛ぶ林子の冒険ファンタジー」のお話だと思ったのです。
けれど、読んで見ると心があたたまるようなすてきなお話でした。
十一歳の林子が、東京から一人で電車に乗って鳥ヶ峰にやって来る事は、大冒険だと思うし、私ならとても無理です。しかも何に対しても興味津津で不思議に思った事は確かめずにはいられない。一度やると決めた事は止まらない。そんな林子が魚捕りの仕掛けを持ちあげて魚を全部逃がしてしまう所では、『何てハチャメチャな子なんだろう』と思いました。一太の「だめだこりゃ」と呆れたのも当然だと思います。
鳥ヶ峰の男の子達が欄干から川に飛び込んでいる所に私は、『信じられない』思いでした。林子も「やめて!」と叫んだのは危ないと思ったからに違いありません。けれど、与市は「こわがらんで物事に立ち向かうには、度胸がいる。だから人間には、度胸だめしが必要なんじゃ。子どものころにゃ、とくにな」
と言っているのですから驚きです。
風鎮めの祭の歌に「きっと勇みの願かけて命尽くして生きてみしょ 一度きりでも 飛んでみしょ」という歌詩があります。また、夏に吹いている桜の花を見て「命っちゅうもんはしぶといもんだな」と与市が言っていましたが、これは林子に対する『一生懸命生きてほしい、命を大事にしてほしい』という願いが込められている様に思えます。
林子が「小さな胸に大変な秘密をかかえている」のが血液の病気で、「林子の夏は命がけ」だという事を知り、一太も私も『嘘だ!!』という思いは一緒でした。
夜の桜を見ながら林子が言った言葉は、自分の病気と向かい合い「命尽くして生きる」という思いが伝わって来ます。
そして、この鳥ヶ峰に来て林子は沢山の物をもらいました。それは、思い出だけなくこれからくるいろんなことに立ち向かっていく気力、自信、そう、「度胸」。
林子の作戦が成功して二人で初めて一緒に橋から飛んだ時、林子の不思議なパワーが一太を鳥ヶ峰の勇者にしたと思います。
何を言っても全く言う事を聞かない無茶苦茶に元気な、でも、ガラスみたいに割れてしまいそうな林子の命を守りたかった。そんな一太を私は、やさしくて、男らしい、気持ちまでも勇者なのだと思います。
林子が東京に帰る駅で「今年は着られんで残念だろうが、また来年、まっとる」という与市からの伝言とゆかたを受け取りました。この言葉には、「負けるな、生きろ」というメッセージが込められていると思います。
男の子達の目の中にあるするどさが、たくましく見えたのは林子の不思議なパワー、魔法のせいかもしれませんね。
私はこの本を読んで、自分がもし林子だったらと考えた時、否定的な『不・無・非・未』という思いでいっぱいでした。
けれど、この本を読んで読書感想文を書くことによって、少しでも林子から、ポジティブなパワーをもらえたように思えます。
さいたま市立泰平小学校5年 藤居愛未
● ○。。〇・ 。●○・ 。○・。● ○。
●。〇・ ●。○。 ○。●・ ○ ・
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★☆